癌と共に~フーテンのパパちゃん~

大好きな父が癌になりました。クジラを見に行く日を夢見て。

胃がん~叔父との別れに思う事~

親戚の叔父さんが亡くなった。

 

いつも笑顔で優しく飾らない気風で

親戚の中でも好きな人だった。

 

今頃向こうで会っているのかな

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-2018年 10月-

おうちで、いつもシャツにステテコ姿でいるのが

パパちゃんにも似ていて、

親近感のある叔父さんだった。

 

癌の手術後、脳へ転移が見つかり

リハビリを兼ねて入院されているときに

お見舞いに行ったのがお会いした最後だった。

 

あまり体調が芳しくないとは聞いていた。

 

義実家が詳しい容体が分からないと、

いつも憤慨していた。

「要領を得ないのよ。病院からなんて言われてるのか、

説明しきれないなら私たちが(先生に)聞きに行くと言ってるのに」

「この間いったん帰ったらしいのに、私たちには言わないのよ。

帰ったって、家族が大変なだけなのにねぇ」

 

なんでそんなに大騒ぎしてるのか疑問ではあった。

結局、家族の問題ではないのか。

そこに介入しようとする意味が分からない。

 

ちょうどその頃近くに用があり、叔父の家へ立ち寄った際

叔母さんと息子さん夫婦にお会いした。

叔父さんの容態を尋ねると、

「あんまりね・・・」といって涙ぐむ叔母さん。

「本人が希望するから、一度家に帰らせてあげたんだ。ね、母さん」

それだけでもう時間がないのだと、察した。

もう叔母さんを抱きしめる事しか、私にはできなかった。

 

大切な家族の最後であれば、一番愛する人たちと

穏やかな時間を過ごさせてあげたいと、私は思う。

 

 

なぜならば、数年前同じく親戚で癌の末期で

自宅で看取られた叔母がいた。

臨終の際、主人と私まで行くように言われた。

私は直系の親族でもないし、ましてやそんな大事な時に

行くのははばかられ、断った。

が、義兄夫婦も行ってるんだから、という理由で

無理やり連れていかれた。

もちろん叔母のご主人と子ども、孫、兄妹、

その家族と子ども達(☜本当にここは要らないと思う)

 

ものすごい人数が詰めかけていた。

叔母の周りにはご主人やお子さんたちが控えていて

遠縁の人たちは離れたテーブルで、茶を飲みながら談笑している。

 

そして叔母の呼吸が苦しくなると、皆ベッドの周りに集まり

固唾をのんで見守る。

呼吸が落ち着くと、また戻ってしゃべりだす。

 

なんだか叔母が亡くなるのを、

今か今かと待ち構えているように思えて

私はその場に居れず、主人を残して帰った。

 

田舎なので、最後寂しくないよう

みんなで集まるという意味合いもあるのだろう。

 

亡くなる本人、また近親者がそれを望むのならば

それもいいのだと思う。

 

 

だが叔父の場合は、周りには伏せ、家族だけで

静かに過ごしたいという思いが感じられた。

 

家に帰りたいという願いが叶い、

叔父は安心したのだろうか、穏やかなお顔をされていた。

 

葬儀に行く際、子ども達も連れて行くため

先に戻るから車は別にしょう、と主人に話すと

「あー無理。おれ飲むから」

 

・・・・・・・。

 

故人を偲びながら酒を酌み交わす、のならば結構。

主人の場合は、ただ従弟たちと飲みたいだけなのだ。

しかもジャンジャン飲む。

 

うちの高校生の長男が、お年寄り連中の相手をし

中学生の弟でさえお茶くみや、ビールをついで廻っていた。

 

結局火葬場でも、精進揚げの席でも

主人と義兄はひたすら騒いで飲み続けていた。

 

・・・お葬式を飲み会と勘違いしているのではなかろうか。

 

しかも葬儀の際、受付する人がいないという話になった。

主人や従弟たちは親族席に座らなくてはいけないからと。

それならばと私がすることになった。

 

すると後から来た兄嫁が

「なんで受付してるの。女がするもんじゃないでしょ」

 

はぁ???

誰もする人がいないからでしょうが。

 

仏さんがいる場所で、あまりもめたくないのと

弔問客も一段落したので黙って引っ込むと、

叔父さんとこの長男ご夫婦がきて

「ごめんね、助かったよ、ありがとう」と

こっそり言いに来てくれた。

 

それでも入り口には、叔父さんの思い出の写真もたくさん飾ってあり

また幼馴染の方が弔辞を述べられ、

叔父さんの人柄を偲ぶたくさんの人達に見送られていた。

 

 

いつか訪れる別れの時に

本人が望む形にしたいと感じた私は

パパちゃんのため、そして自分のために

少しづついろんな資料を集め始めることにした。