自分だったら、耐えれただろうか
病気との闘い
薬との闘い
-2019年 7月24日-
中途経過観察で病院へ。
白血球、腫瘍マーカー、血小板、
すべてが悪化という結果。
一旦治療は中断することになり、
2週間後に再度血液検査と診察。
投薬の量も2段階目に少ないもので、
点滴治療はまず無理。
腎臓も元々悪いこともあり、
今後の治療もできないかも、と言われ
『治療ができない』という事だけにとらわれ
私たちの中には不安だけが残った。
これって、今考えると
『とりあえず治療してれば安心』
『薬飲んでれば大丈夫』
という保険的な気持ちの方が強かったのだと思う。
パパちゃんの年齢や状態を考えれば
「抗がん剤治療をしない」という
選択肢もあったはずなのに。
もっと、もっとちゃんと考えておくべきだった。
落胆する私たちをよそに
”薬中断”を朗報と捉え、ゴキゲンなパパちゃん。
そんなパパちゃんから突然
「花火大会に行きたいな」と言われた。
まだ私たちが小さい時、市の主催で花火大会が開かれていて
家族みんなで毎年行っていた。
私がUターン帰省してパパちゃんと二人で住んでいた家からも
会場が近いためよく見えていた。
庭に縁台を出して、姉達や従弟も呼んで
みんなでワイワイやってたっけ。
会場の確保が難しくなり、長い事中止になっていたが
昨年復活したのだ。
テレビでもよく宣伝しているのを見ていて
「なつかしいな-」とつぶやいていた。
それにしても
あまり騒がしいところは苦手な人なだけに
「パパちゃんから言い出すなんて珍しいな」と
意外だった気がしたのを覚えている。
深い考えはなかったのかもしれない。
ただ本当に昔を思い出して懐かしかったのかも。
それでも今思い返すと
パパちゃんなりに
色んな事を考えていたのかもと
思えてならない。