生花は好きでないパパちゃん
『ちょん切られてると、なんか可哀そうなんだよ』
庭に映える草木や
自然の樹木が好きな人だった。
だからじゃないけど
手入れが苦手な私はもっぱら造花を飾った。
それでも季節感あるお花を入れて
『よかよか、充分よ』
パパちゃんなら、そう言ってくれる
~2021年 皐月~
主人は初盆の時にはもう
『お義父さん亡くなったのいつだったっけ?』
というような人だった。
パパちゃんに対して、というよりも
自分のおじいちゃん、おばあちゃん、親しかった人
亡くなった方への思いが何というか、薄い。
可愛がってくれたおじいちゃん(私と結婚する前に他界)の命日には
子どもが小さい時はよくお墓参りにも行っていたが
それさえも「めんどくさい」「行くのダルイ」とか言うような人だ。
もともと期待もしてはいなかったが
初盆を過ぎてからはいよいよ
お線香をあげることもなくなった。
一方、義実家。
もともとお付き合いや儀礼を重視する人達なので
命日にはきっかりどこそこをお参りして廻る。
まぁそれ自体は悪くないのだろうけど
呼ばれた先で『おもてなし』を受けないと非常に不機嫌になる。
茶菓子や仕出しの内容にまでいちいち文句を付ける。
それはいかがなものだろう・・・
何が目的なのだろうとさえ、思ってしまう。
親族の葬儀に参加した時も
参列客の数や献花、祭壇の規模などを帰り道に
声高に話す様子は見ていて不愉快だった。
その人となりを偲んだり、悲しみを共有するといった感情は
あまりないのかな、とも思う。
パパちゃんの逝去後、きっかり祥月命日に来るのは覚悟していたが
これがなかなか帰らない💦
お仏壇まわりのチェックは怠らない。
誰か来てないか。何か持ってきてないか。
無遠慮にジロジロ眺めまわした後、茶菓子をご所望される笑
最初は相手をしていたが、パパちゃんの話など欠片も出ない。
主人の体調や仕事の様子、子どもたちの近況などを根掘り葉掘り聞くので
毎回かなりしんどくなってきた。
初盆を過ぎる頃には『もうお気遣い頂かなくて結構です』とやんわりSTOPをかけたが、地球外生命体には通じる訳もなく。
『そんな訳にはいかないでしょ!家族なんだから』
とお得意の”ワレワレハカゾクナノダ”光線で攻め込んでくる。
アホらしくもなり、私も家に居る時は、家の事かパソコンの仕事をチョイチョイしていたので後半はそれを口実に知らん顔を決め込んだ。
もう命日になると気が重くて仕方がないが
向こうも諦めずにやってくる日々。
そして1年が経った。