こうしてみると
夏が来るたび
仕事やめてるやないか―い
ヤバっ(;^ω^)
-2018年 7月初旬-
この頃、手術の後は
ほとんどお見舞いにも行けない日々だった。
転院もどうにかでき、後はリハビリの日々だ。
そうはいっても、ある程度したら自宅へ帰ることになる。
また不登校だった長男も、
ようやく通信制の学校が決まった。
パパちゃんの容体に
息子の状態に
一喜一憂しながら
家族を大切にする時間を
思うように作れないことが
一番苦しかった。
病院とのやり取りの時間
学校とのやり取りの時間
休憩時間になんとかしていたが
携帯電話も持つなと言われだし、
緊急の電話にも出れない状態になっていた。
その横で仕事中に、毎日化粧品やらお取り寄せグルメの
ネットショップをしている上司たち。
この先ここに定年まで居られるかと
自問自答したときに
「もう限界」という答えが出た。
甘いと言われれば、そうだろう。
みんな同じかもしれない。
パパちゃんも、姉たちの助けがありなんとかやれていた。
でも姉達も自分たちの生活がある。
甘えてばかりもいられない。
それに子どもには私しかいない。
行き詰まり、苦しみ、ようやく進める道が見つかった。
パパちゃんと子どもが元気になれるか否か。
ここが正念場だと思った。
その日の帰り道、便せんを買い
「退職願」を一気に書いた。
もたもたしてる暇はナイ。
思い立ったら即行動。
良くも悪くも
それが私のポリシーだった。
翌日直属の課長を通じて退職届を出した。
社長に呼び出され、休職も提案頂いたが
丁寧にお断りさせていただいた。
ここは私の居るべき場所ではない。
かくして退社が決まった。
有休も使っていいらしく
8月の盆休み直前から休みに入れることになった。
ラッキー(・∀・)♪