初七日の次は四十九日忌
法要はすぐにやってくる
七日目に三途の川に到着した故人は
それから七日ごとにいろんなお釈迦様から勉強と試験と面接を受け
そして最後四十九日目に審判が下る。
こんなナイスガイなお釈迦様おらんて
その間魂はこの世とあの世の境をさまよってるそうな
そんでもって故人があの世で試練をクリアできるように
地上部隊(ご遺族)は七日ごとにお坊様にお経をあげてもらって応援する、というのが一般的。
私はお嫁に来てから本家の祖母の葬儀にフル参加したことがある。
仮通夜、本通夜、葬儀、精進揚げ、初七日忌法要、ひと七日法要、ふた七日法要・・(これが✖7回続く)、四十九日忌法要、一周忌法要。
その際にお願いした地元でも大きなお寺のお坊様。
しゃなり、しゃなりとご立派なのだが、法要の度に話す説法がなんとも意味不明。
七日ごとに法事があるのでだんだんネタ切れしてきて、最後の方は何やら書いてあるプリントを渡してくるわ、最後の日は()書きのテスト問題になっていた。
そして法事の度の飲酒がひどい。一応お坊様の分のお膳も用意してあるのだけれど、四十九日忌の時は酔った挙句故人用にお供えしているお膳を「じゃま」といって横にどけていたのには親戚一同ドン引きした。
さすがに一周忌では会食の席に呼ばなかったのだが、行く気満々だったお坊様は『バチあたりめ』と言い残していった。
私が故人なら浮かばれない
でもでも中には良いお坊様もたくさんいらっしゃる。
普段から檀家を大切にしていたり、生前から懇意にしてくださっている方などは別だろう。
今は地域のボランティア活動や、このコロナ禍の中地元の飲食店のために奮闘しておられる方もいる。
だけれど、高名なお坊様にたくさんお布施を包んだら成仏OK!ていうのはいかがなものだろう
葬儀の際の読経もお布施のランクによって違うというのも疑問。
そして葬儀の時に頂く白木の位牌。
生前のお名前(俗名ともいう)から、成仏するためには戒名が必要と言われる。
四十九日忌へのタイミングで本位牌まで作成しなくてはいけない。
この《戒名》さえも
通常の2文字+道号や位号など、お寺とのつながりや社会的地位で組み合わせてるが、お布施の額によって文字数や位号のランクが変わってくるのはオカシイ。
どうしてもというならば、今は《生前戒名》というのもある。
こちらの方がまだ納得できるし、本来の道義にかなっているように思える。
区切りも儀礼も大事だと思う。
そしてお坊様も勉強し修行も積んでいるでしょうが、もちろん生活だって懸かってる。
でも故人を敬い、成仏を願う、それならば
金額に違いがあってはいけないんじゃないの???
親が愛情を、願いを、想いを込めてつけてくれた名前
私はそれを大切に胸を張ってあの世まで持っていく。