今頃はどこを歩いているのだろう
また寄り道してるんじゃないだろうか
次女だけが家が近いこともあり、ちょいちょい来てくれるのが嬉しかった。パパちゃんに挨拶をしてお線香をあげ、他愛もない話をする。
その中で次の法要【初七日】の打ち合わせをした。
逝去した日から起算して7日目に行われる法要のことで
今は葬儀と一緒にするところもあるようだ。
だが姉たちと集まりたいことと、お経だけならば私たちでも出来るため
姉たちの休みの取りやすい日に合わせすることにした。
人は亡くなってから7日かけて三途の川にたどり着くのだとか。
まぁ道には詳しいパパちゃんのことだ。ナビなどなくても大丈夫だろう。

そして生きていた間の《業》によって、三途の川を渡る深さが違う。
生前の行いが良いものは浅瀬を、業の深い人は濁流の中を行くことになる。
ところが渡し舟があった場合は、《六文銭》(納棺の時に持たせるお金)があると船に乗れるのだとか。
なんてこったい・・・それじゃああの世もカネ次第ってことなのかΣ(゚Д゚)
以前母を見送った後に渡し舟の話を聞き、姉たちと『しまった、六文銭を持たせていない💦』という話になった。
『ヤバい、怒られる(;´・ω・)』と言いながらも母のことだ。
『船頭が鬼でも脅すか値切るかしてどうにか渡るだろう』という結論に至った。
そういう人なのだ。母は。
『私は正しい』という強い精神力の人。
どうして、鬼滅の無残様などカワイイレベルだ。

『私の言うことは絶対である』『私が”正しい”と言ったことが”正しい”のだ』 byパワハラ会議より
あ、母マジでこんな感じでした(笑)
それでも、ぶつくさ文句言いながらも父を待っているだろうね、と話した。
なんだかんだ言って面倒見はいい人なのだ。
そんなこんなを考えながら打ち合わせを進め、10時集合、11時から読経ということで。
呼んでもなくても義親は来る気満々なんだろなー。
さすがに私の読経に文句は付けないだろうけども。
みんなと同じ家族気分で居座られる可能性大なので、その後お昼を持たせて解散の設定にすることにした。
仕方ないのでお寿司の折り詰めを二人分。義父が持病があり肉を避けているので。
ちゃんと気を使ってるんだぞ―
そしてうちもお弁当取る?という話になり次女から『何人分だっけ』と聞かれ
『えっと、5人分』と無意識にパパちゃんの分もカウントしていた。
『あ、違う、違う。4人分』と言い直したが言いようのない悲しさがこみ上げてきた。
こういう時が辛かった。
お風呂が入って呼びに行こうとするとき
洗濯物を干しているとき
パパちゃんの好きなものを見つけた時
ふとした時に『居ない』と感じるなんでもない日常の瞬間が
たまらなく悲しかった
次女が泣き出した私を抱きしめて、よしよしとしてくれる。
受け止めてくれる人がいるのは本当に有難かった。
私を気遣ってか、お弁当の話題はなくなったが
『庭でバーベキュ―にする?』という私の案は次男に即却下され
当日はサンドイッチとケンタッキーを姉たちが買いだしてくる案に決定した。
いいの?俺で💦