癌と共に~フーテンのパパちゃん~

大好きな父が癌になりました。クジラを見に行く日を夢見て🌈

胃がんからの家族葬~ありのままで生きる~

安心してね

 

私たちだけだからね

 

もう気を使わなくていいんだよ

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長い、長い夜

 

静かにパパちゃんと過ごすひと時

 

誰にも邪魔されず、家族だけで過ごせる至福の時

 

 

たくさんの想い出を振り返りながら

姉たちが居てくれて本当に良かったと心から思った。

 

私一人では、耐えられなかっただろう

 

パパちゃんの病気

心配や不安

義実家や主人への苛立ちや葛藤

 

きっと心が折れていた

 

私と姉たちは父親が違う

ママちゃんが姉たちを連れ、子連れで再婚したのがパパちゃんだ。

 

それを知ったのは高校生の時だったが

「あーだからお姉ちゃんたちは美人なんだなぁ」とヘンな納得をして、終わった。

 

なんだろう

違和感も特になく

「それが当たり前」と自然に思えた。

 

今はステップファミリ-、というのかな。

いろんなカタチの家族がある。

 

それでいいと思う。

 

姉たちのことをよく心配していたパパちゃん。

身体が弱い長女の事

生活面で何かと大変な次女の事

 

「大丈夫だろうか」いつもいつも言っていた。

 

「俺はなにもしてやれんから」

ぽつりぽつりと呟くパパちゃんだったが

そんなパパちゃんが私たちを家族にしてくれた。

 

私に自慢のお姉ちゃんたちをつくってくれた

 

パパちゃんがいて

ママちゃんがいて

お姉ちゃんたちがいて

 

あの日々は決して楽しい事ばかりではなく

辛いことも多かったけれど

 

それでも

ハチャメチャとしか言いようのない日々だったが

私は幸せだった

 

 

 

パパちゃんはあまり自分のことを上手に話せる人ではなく

うまく立ち回ることも、自分を作ることも苦手。

だからよく誤解もされやすい。

 

そのかわり、真っすぐな人だった。

 

相手が誰であろうと、大切にする

 

それが他人であろうと

子どもであろうと

動物であろうと

 

考えてみればスゴイ人だった

 

 

そして人のことを決して悪く言わない

 

私がさんざん愚痴をこぼしても

「うん、うん」と真剣に聞いてくれる

でもそれに便乗して相手のことを悪く言うことは決してなかった

 

どうしてそんな風になれるのか不思議だった

 

生きてる時からすでに仏さまだったのか✨

 

 

パパちゃん自身が自由人だったので

人に対して強いることも苦手なパパちゃんは

いつも「ありのまま」で生きてきた

 

苦手な人、苦手な場面からは、すぅ-っとフェイドアウトしていくような(笑)

 

そんなパパちゃんは現代では生きづらく

会社勤めなどは到底無理だった💧

 

それでも個人での営業は性に合っていて

とてもとても楽しそうに仕事をしていた。

 

好きな仕事をして

子供以上に可愛がっていたワンコとニャンコとのびのび暮らしていたころが

パパちゃんにとって幸福の絶頂期だったと思う

 

 

晩年、私や孫たちとも暮らせるようになり

食事や病気、生活面での心配は少なくなり、独りぼっちではなくなった。

でも

監視され、制約されるような日々は

相当なストレスだったろう

 

私がその中で生きていることも

それを「当たり前」として心を無にして日々を過ごすことも

「お前はエライなぁ」と言いながら

「でもやっぱり」

「前みたいな元気なお前を俺は見たいよ」

そう言った言葉が忘れられない。

 

お正月

お盆

いろんな集まり

いろんな場面で

義実家の中で

一人誰ともしゃべらず

ただ黙って座り続ける私を

パパちゃんはどんな思いで見ていただろうか

 

私と一緒に毎日を我慢してきた姿を見てきたからこそ

 

 

最後の最期だけは

安心して

自由に

なんの心配もなく

旅立ってほしい

 

私が望むのはそれだけだった