【癌 再発】胃がん、肺転移、抗がん剤治療
人生最期のセレモニー 相性も大事 納得のいくところで 葬儀社への依頼 パパちゃん逝去後すぐに電話を入れていた。 当たり前なのだろうけれど、24時間受付体制。 大変だなぁ・・・ しかしあまりに慌てすぎて 在宅医療の先生が到着する前に連絡しちゃったも…
夜が明ける 特別な1日が始まる 在宅医療だったので、家で看取ることもできた。 パパちゃんにたくさん触れることもできた。 またエンゼルケアも身支度も、一つ一つみんなで心をこめてすることができた。 支えてくださった在宅医療の先生、看護師さん達には感…
心を込めて 感謝を込めて 愛情を込めて 私たちにできること みんなが落ち着いた頃を見計らって、もう一度診療所へ連絡を入れた。 しばらくして、院長先生と看護師さんが来てくださった。 院長先生は3日連続。 有難いの一言につきた。 父の身体を診察し、脈や…
最期を迎える場所に「家」を望む人は多い だが現実は「病院」という現状の多い日本 もっと自分らしく 穏やかな最期を 静かにパパちゃんがこの世から旅立っていった 長女も次女も「パパちゃん-」「お父さん・・・」 涙が止まらず体をさすっていた。 私は2階…
ゆっくりと ゆっくりと ろうそくの炎が消えるかのように 深夜を過ぎ、子どもたちもそれぞれ2階の寝室で眠っていた。 パパちゃんの側には私達3姉妹。 1度だけ、ガバッと起き上がって驚いた。 本当に、突然。 しかも手すりも何も使わず起き上がった。 左側…
ここからはパパちゃんが息を引き取る瞬間までがあります。 臨終の際の実際のブログや記述はあまりなく 私達自身よくわかっておらず慌ててしまいました。 ご不安になられたり、不愉快に感じられるようでしたら 大変申し訳ありません、とばしてください。 次女…
万が一に備える”保険” 過剰なものはいらないけれど やっぱりあると安心感は違う あとこの日にしたことは、お金の工面。 在宅医療に、これからのことに どれくらいかかるのか正直分からなかった。 義実家とトラブるのは必然。 通常の口座から一時的にでも引き…
何度目の介護認定だろう 元気が良すぎて通らなかったっけ ずっと昔のよう -12時半- 息つく間もなくやってきたのは介護認定のメンバー。 地域でいつもお世話になっているケアマネジャーさんと 調査員の女性の方、そしてソーシャルワーカーさん。 今パパち…
ずっとずっとずっと がまんしてきた 自分のことならば、まだいい でもこれだけは、譲れない -お昼12時過ぎ- 先生から今晩、と危篤を告げられ 頭が真っ白になっていた私と長女 そして居座り続けていた義父母は 先生が話し出すと同時に 私たちの中に割り込ん…
どんなに残酷なことを言われても 信じないよ -お昼 12時前- 新しい介護ベッドに横たわり 点滴も注入量を増やしてもらったパパちゃん ようやくすやすやと眠り出した。 バタバタと人の出入りも慌ただしい中 帰ろうとしない義父母。 「今日はすみません、わざ…
辛く苦しい 長い、長い夜 -真夜中- 先生につけてもらった点滴のおかげで 楽になった、と言っていたパパちゃん。 でもそれは始めだけで 夜が更けるにつれ、効かなくなっていった。 「おい、ちょっと薬増やしてもらえんか」 看護師さんに言われた手順で 薬の…
ついこの間告げられた「余命3か月」 まだ、まだ1か月しか経ってないよ -午後4時- 色んな書類に目を通し、説明を受けながらサインをした。 そして先生から小さな声で告げられたのは 『状態としてはかなり厳しいです。 左の肺はもう機能していません。 癌の…
在宅医療はもっと ハードルが高いものだと思っていた 素晴らしい先生とスタッフに 出会えた事への感謝と もっと早くにしておけばよかったという後悔 -午後3時- それから間もなくして来てくださったのは 院長先生と2名の看護師さん。 あれっと1番に思ったの…
時間が飛ぶように過ぎていく -2020年 皐月- にぎやかだったゴールデンウイークが明けた。 途中病院からステロイドを増量してもらったものの 歩行はさらに厳しくなり 金曜日 下痢がひどくなり、普段服用している漢方もSTOP 土曜日 夜間の咳がひどくあまり眠…
ありのまま なすがまま 風のように生きる 自由な人 -2020年 ゴールデンウイーク最終- 夜、隣で横になりながら、いろんな話をする。 ゴールデンウイークに お姉ちゃんたちが来てくれたこと 従兄家族が来てくれたこと なんだかんだで嬉しかったのだろう …
ひと目、元気な顔を 言葉を交わし 笑顔をかわし あの時間を忘れない -2020年 ゴールデンウイーク- お出かけもままならぬ中 みんながパパちゃんに会いに来てくれた 長女は朝早くから来て パパちゃんの好きなものを作ってくれた でも感染リスクには超過敏な…
樋口了一さんの【手紙】はもちろん有名で ずっと前に知ってはいた。 元の歌詞はポルトガル語で作者は不詳。 日本語で訳詞と曲を付けたものと聞いていた。 だけどその意味を本当に理解するようになったのは パパちゃんの癌が再発してからだった。 【手紙~親…
いつも笑顔で 優しさがいっぱい まぶしいひまわりのようで 静かな朝顔のような人 -2020年 皐月- ご飯も量を減らしてはいたが、ちゃんと食べ、 お風呂も一人で入り 夕食の時はみんなとおしゃべりをして たわいもない事を言って 笑って 毎日が過ぎていった。…
「もう一度元気になりたいなぁ」 「普通に歩きたいなぁ」 私につかまるほっそりとした腕 -2020年 皐月- 緩和ケアの外来受診の時に やはりきつさが取れないため 輸血をしてみよう、ということになった。 手術や緊急時でなくても 輸血ってできるんだ ちょっ…
時には厳しいことも 相手を思うからこそ 愛情の証 -2020年 卯月- 家の中は平穏な毎日 でも外はコロナの嵐が吹きまくっていた。 退院後の外来受診の時、長女が来てくれた。 www.hikaru-ko.xyz 家も一番遠いため、なかなか会えない。 しかも医療関係に勤めて…
嵐のような毎日から 静かな日々に それでも 駆け足で過ぎていく -2020年 卯月- 家と仕事と子どもたちとパパちゃんと そして義実家の対応 戦争のような日々だったが ”仕事”が消えただけで、毎日がガラリと変わった。 時間的な余裕が、心の余裕につながった…
やっぱり家がいいよね さぁ、帰ろう -2020年 卯月- 病院で食事と点滴による回復を勧められ 入院していたパパちゃんでしたが 「帰りたい」コールが頻発 www.hikaru-ko.xyz 今まで何度も入退院を繰り返す中で 一度もそんなことを言ったことはなかったのに 馴…
笑っているから 大丈夫って思ってしまう 心配かけまいと 強がっていたのだろうか -2020年 卯月- 抗がん剤治療ができなくなり 緩和ケアを考えたときに この先の体調や症状について 色々と調べることが増えた。 本来ならば 癌治療のスタートの時に 緩和ケア…
今まで出来ていたことが 段々とできなくなって めんどくさがり屋さんに なっちゃったねえ -2020年 卯月- いつもキレイ好きなパパちゃん (ないのに)髪のセットは怠らないw お風呂が大好き そしてお風呂上りは ご愛用のブラバスで決まり✨ ひげが伸びてい…
もっと気軽に 終活相談できるような そんな場所になってほしい -2020年 卯月- あちらこちらと斎場に足を運びながら なぜかやはり暗いイメージが どこにでもあることが気になった。 私はあまり死=怖いというイメージはない。 自分自身に実感がないのからか…
最後のひと時を 静かに 穏やかに 願うことはただそれだけ -2020年 卯月- 斎場については、以前より頭にあった。 パパちゃんの、というよりも自分のために。 母が亡くなってから ”死”というものを身近に考えるようになっていた。 パパちゃんの肺転移を告げ…
パパちゃんが入院中の今 何ができるのか 何をすべきなのか それが残酷なことでも -2020年 卯月- パパちゃんが入院している間にも すべきことはたくさんあった。 お部屋の片づけ これは後々しておいて本当に良かった。 www.hikaru-ko.xyz 時間の概念は 正直…
病院だと安心できる 先生が看護師さんがいてくださる 家と病院との上手なバランスで 患者さんも家族も楽になれる -2020年 卯月- 体調が思わしくなくなったパパちゃんは ひとまず緩和ケア病棟へ入院することになった www.hikaru-ko.xyz www.hikaru-ko.xyz …
胃がんになり 肺転移になって 緩和ケアを知った あの頃に戻りたいと 何度も願う 私がブログを書き始めたのは パパちゃんと緩和ケアセンターへ行った直後のことです いろいろなことが日々目まぐるしく過ぎていく中で あまりにも【癌】というものに対して無知…
外出にも 病院へ行くことにも 細心の注意を 外は危険がいっぱい -2020年 卯月- 外は春の日差しがあふれ お出かけにはもってこいの日々 だがコロナの危険度も増していく中 パパちゃんを釣りに連れていく事に なかなか踏み出せずにいた 緩和ケアの病院へは …